Japan Environmental Exchange

「パブリック・シティズン40周年記念祝賀会」に参加して

細木 京子 (J.E.E.事務局)


アメリカの消費者運動家 ラルフ・ネーダー氏が設立した“Public Citizen” (パブリック・シティズン) が、創立40周年記念祝賀会を、昨年10月20日にワシントンD.C.のオムニ・ショアハム・ホテルで開催した。 パブリック・シティズンは、企業利益ではなく、一般の人たちの利益に仕える弁護士であるネーダー氏が、1971年に設立した非営利組織である。

パブリック・シティズンは、公的市民を意味する言葉で、ネーダー氏がニューヨーク・タイムズ紙の中で国民に呼びかけた言葉である。毎日の生活の中で、プライベート・シティズン(私的市民―自分や自分の家族だけの幸福を追求すること)だけではなく、パブリック・インタレスト(一般の人たちの利益)を追求するパブリック・シティズンとなって、1日のわずかな時間でも、社会のために尽くしませんか、というネーダー氏からのアメリカ国民に対するメッセージである。

J.E.E.は消費者運動家の故野村かつ子さんを“ノーベル平和賞に1000人の女性を”に推薦させていただいた。野村かつ子さんがネーダー氏を日本へ招請し、懇意にしておられたので、彼女の志を継ぐJ.E.E.として、40周年の祝賀会に参加することにした。一昨年の野村かつ子さんを偲ぶ会でお会いした野村恵子さんと一緒に、アメリカの市民運動を自分達の目で見て、学びたいと思い旅立った。

ネーダー氏は「どんなスピードでも危険だ。米国製自動車の危険性は設計段階から仕組まれていた」(邦訳 ダイヤモンド社1969年)と題する本を出版し、GM社の「コルベア」を告発した。それはベストセラーとなり、ネーダー氏は一躍消費者運動の旗手となった。
彼がGMを始めとする企業の社会的責任を追及する中でわかったことは、企業というのは企業利益推進のために議会でロビー活動を展開し、自分達の都合のいい法案を議会で通そうとすることであった。 彼はそれを打破するために市民の利益を擁護する法律の制定に向けて企業と対等にロビー活動をすることを決意した。 このようにして、企業や政府からいっさい寄付を受けない独立した組織、パブリック・シティズンが誕生したのである。

祝賀会の前日に、ネーダー氏の本部である「市民のための法律研究センター」の事務所を訪れた。お忙しい中にもかかわらず、マネージャーのリチャードさんが親切に応対してくださり、これまで出版された本を10冊以上も下さった。

ネーダー氏へのお祝いの色紙とJ.E.E.環境カレンダーを届けてもらえるよう託した。色紙にはネーダー氏の似顔絵を高月紘先生に描いてもらい、お祝いのメッセージを寄せ書きした。
スタッフの一人が「ネーダー氏は贈り物にカレンダーをいただくのが大好きなんだ」と言われ、お気持ちに沿ったおみやげとなり気持ちが通じたように感じた。

祝賀会ではネーダー氏にご挨拶するなり、「日本政府が情報を隠匿するのは問題だ」と強く言われ、原発事故の政府の対応のまずさを指摘された。彼の企業や行政に対する社会的責任追及の厳しさを肌で感じた瞬間だった。

彼はパブリック・シティズンを設立してまもなく、反原発グループを立ち上げた。当初からネーダー氏は、原子力が持続可能なエネルギーではなく、次世代のこどもたちに廃棄物をおしつけることに大反対していた。

J.E.E.もネーダー氏同様に、持続可能な社会の実現を目指し、反原発の立場を貫いているので、心強く思う。

祝賀会には、パブリック・シティズンの会員や議員、支援団体など550名以上が全米各地から集まった。

私はこのような場ははじめてだったので、緊張しながら、丸いテーブルの名前が書いてある席に座っていた。食事をしながら、舞台では次々とお祝いの言葉が述べられ、40年間の活動が報告された。日本では考えられないほどの会員層の厚さ、個人からの寄付金の多さにも驚かされた。

ネーダー氏をはじめ、パブリック・シティズンの土台づくりに貢献した4人の功績が称えられた。その中には1971年にネーダー氏とともに来日したジョーン・クレイブルック女史の姿があった。彼女はネーダー氏が政府の運輸省内に発足させた全国交通自動車安全局の初代局長を務めた。 彼女が27年間パブリック・シティズンの会長を勤められたことから、パブリック・シティズンの建物はジョーン・クレイブルック ビルディングと命名されている。

ちょうど祝賀会と前後して「ウォール街を占拠せよ」という抗議行動が起きていた。パブリック・シティズンは抗議デモ参加者と連帯するという声明を出し、99%を代表して、社会で最も富んでいる1%に立ち向かうという立場を明確にしていた。スタッフは抗議行動の現場を訪れ、政策を説明したり、ティーチインなどを行っていた。

アメリカは今、格差社会問題や他の深刻な問題を抱えているため、今後40年にむけていっそうアメリカの民主主義を守りぬこうとする参加者の強い思いが感じられる祝賀会となった。

会が終わりに近づく頃、ガット、WTO、TPP等の貿易交渉の動向を監視しているグローバル・トレード・ウオッチのディレクターのローリー・ワリックさんが私たちのテーブルにご挨拶に来て下さった。明日の朝、ハワイに行くのでお会い出来ないが、スタッフが案内するので、ぜひオフィスに立ち寄ってくださいと言ってくださった。

親切なお言葉を有難く受け、翌日、議会のすぐ近くにあるオフィスを尋ねた。若いスタッフの女性が、もとFRBの建物だったというオフィスを案内してくださった。そこではTPPについてブリーフィングを受けた。

パブリック・シティズンの活動内容を理解することは、私には重過ぎるものであったが、祝賀会場ではネーダー氏から直接に、「色紙とJ.E.E.カレンダーをありがとう」と感謝の言葉を頂くことができて、嬉しく思う。充分だとはいえないが、野村かつ子さんと繋がるJ.E.E.の役割を少しでも果たせたとほっとした。

短い滞在であったが、オフィスを尋ねる合間に議事堂とホワイトハウスを見学した。ちょうど下院では議会が開かれていなかったので、傍聴席に座りながら内部を見ることもでき、大変貴重な経験をすることができた。

パブリック・シティズンの、今後ますますのご発展を願っている。
そして、私たち25周年を迎えたJ.E.E.も、持続可能な社会の実現を目指すネーダー氏と同じ夢を見ながら、よりよい環境保護活動をしていきたいと心より思わせられた今回の祝賀会行きであった。

*パブリック・シティズン:www.citizen.org /40gala
* この原稿を書くにあたっては、パブリック・シティズンから資料提供を受け、通訳は野村恵子さんにお力添えをいただいた。

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1.パブリック・シティズン40周年記念祝賀会(パブリック・シティズンHPより転載)

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2.ネーダー氏(右)

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3.祝賀会場の細木


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