東日本大震災 カンパ募集団体、参考情報のお知らせ地震、津波の復興は進みつつありますが、原子力発電所の事故についてはまだまだ予断を許しません。メディア報道では伝わって来ない、様々な原発事故関連情報がJ.E.E.会員より寄せられていますので、その一部をここに載せます。すでにご存知かもしれませんが、状況判断の参考にしてください。また必要なら知人の方にもご案内ください。なお情報はどんなものであれ、冷静に受け止められますように。自分の信じられる方法、信じられる組織を通じて、より多くのより長い支援を被災地へ届けてください。そしてこれを機により、省資源・省エネルギー・省廃棄物のライフスタイルへ変えねばいけないと思います。 A. カンパ募集団体カンパはさまざまな場でされていると思いますが、J.E.E.とつながりのある下記の団体へもご協力お願いします。 ★"NPO法人AMDA (アムダ) http://amda-imic.com/oldpage/index.html AMDA国際医療情報センターは電話で各国語により、言葉の通じる医療機関の紹介や医療福祉制度など医療情報の提供を行っています。今回の震災では発生直後から、宮城県仙台市、岩手県釜石市・上閉伊郡大槌町の地域でそれぞれ泊まり込みの巡回診療活動を行っています。 ★ Team "SAKE" http://teamsake.blogspot.com/被災地(特に小さな集落)への震災直後から物資の支援活動。 京都の若者達が、東北の学生や阪神大震災のボランティア経験者と協力して活動。物資購入のためのカンパも募集。 ★NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク http://www.ayus.org/宗派に関係なく仏教者が集まり、NGOを支援することによって国際協力を行っています。 ★ NPO法人 ゆめ風基金 http://homepage3.nifty.com/yumekaze/ 阪神大震災の時に大阪で立ち上げられた団体。今回も直後から状況調査に入り障害者を物心両面からサポートしています。 ☆J.E.E.は被災地支援としてカンパをはじめ、事務所にあった大鍋・大やかんを炊き出し用に現地へ持っていってもらったり、残っていたカレンダーを要望のあった岩手県のお寺へ送ってもらったりすこしですがお役にたちました。 B. 参考情報1. 原子力資料情報室 http://cnic.jp/ 今後予想される危険の種類などが詳細に述べられています。 2. 浜岡原発(静岡県)停止要望署名 http://www.geocities.jp/plumfield995/3. 原発を作ったプラント技師平井憲夫さんの文 http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html4. グリーン・アクション GREEN ACTION http://www.greenaction-japan.org/ "核のない安全な未来をきずこう"と活動 5. 反原発めだかの学校 http://blog.goo.ne.jp/54314201130年以上にわたる反原発運動、毎月の学習会の開催。 6. 環境市民 http://www.kankyoshimin.org/震災直後には、一人一人の年齢に合う物資の支援をするなど積極的な活動を。 7. ジャパンフオーサステナビリティ http://www.japanfs.org/ja/原発事故後の原子力発電所の立地自治体や東電の動き、政府の政策の動向を伝えている。 8. 災害廃棄物対策・復興タスクチーム http://eprc.kyoto-u.ac.jp/saigai/資源循環学会が現地へ行き、地震と津波による莫大な量の廃棄物処理を支援しつつ記録に残し、学術的にもまとめている。 9. グリーンピース・ジャパン http://www.greenpeace.org/japan/ja/独自に放射能値の観測と、今こそ自然エネルギーのシフトしよう!と活動。 10. スイスでの原発反対運動 スイス在住JEEメンバーとその友人のからのメッセージ。 C. 各地からの応援歌*セルビアの首都、ベオグラードの共和国広場に数百人の人が集まって描いた「赤と白」日本の国旗の人絵文字です。これはセルビアの人々が日本を支援するという小さな「しるし」で、これまで日本から援助を受けてきたので、今度は自分達が日本をサポートする番だと集まってくれたそうです。 *復興の狼煙ポスタープロジェクト *台湾の桃園県中?市にある新街小学校の1年生たちです。力いっぱいの声を出して「日本がんばれ(日本加油)!」と応援してくれています。 *アフリカのケニアの首都ナイロビにあるキベラスラム マゴソスクールの子供たちです。この学校の設立当初からサポートしてくれていた日本の女性が、仙台で被災されました。子どもたちからお母さんのように慕われていたので、そのかたが寒い避難所暮らしをしていると聞いて、子供たちは大きなショックを受け「日本のお母さんとみなさんへ向けて、励ましと祈りの歌を歌って届けよう」という想いから生まれた歌だそうです。 |