「育つものも育たない」山野 弘美(スイス在住) 夏休みがやって来た。数年前2年続けて、子供を連れて戻った日本の暑さを思い出した。日本に戻った目的は、子供の日本語のためだった。彼らは、片言の日本語しかしゃべれない。幼いうちに、日本人の子供と遊んで、すこしでも日本語が上手になればと願っていた。 しかし、簡単ではなかった。まず、近所で子供が遊んでいない。それで、0歳から6歳ぐらいの子供が遊べる室内遊技場に行った。スイスだったら、公園に行ったらあっという間に、知らない子同士でも、遊び始める。しかし、兄弟2人だけで溢れるエネルギー炸裂させていた。でも遊べる場所があったんだから、まぁいいかと思っていた。すると、ボランティアの人が私の所にやって来て「子供さんを、走らせないで遊ばせて下さい」とにこやかに言った。耳を疑ったが、次男にも言っているので、疑いようなかった。理由は、「小さいお子さんが怪我をしたら、小さい子の親の気がすまないから」。 次は、男の子3人のいる家にお世話になった。そこにお友達も来て1歳から7歳までの男の子が合計6人になった。それなのに、声一つ聞えない。小さい子供は、テレビをみ、大きい子は小さなコンピューターのゲームに夢中になっていたからだ。この状態は、そこに滞在中一週間ずっと続いた。奇妙だった。 子供は、走るもんだ。怪我をするもんだ。病気でも、元気でも、すぐに死にかける。そのび、親は肝を冷やし、あぁ良かったと涙ぐみ、アホな事ばっかりやってと頭から湯気をだし、すいませんすいませんとあちこちに頭を下げ、こんなことを繰り返しながら親になり、子も育ち、いつしか親として腹をくくる。我が子の死さえも覚悟の上で、それも出来なくて一人前の人間に育てられるかと腹をくくる。そんなもんじゃないのか、親をするというのは。そもそもどうして、親と親の間に、子と子と間に、ボランティアがいるのだ? 日本で多くの人を殺傷した、20歳代後半の男性の裁判のやりとりを、先日読んだ。彼の言葉からは、異常性は感じなかった。ただとても奇妙だった。生活年齢30年近いわりに、言っている事が幼いのだ。私の子供達5,6歳児と似ている。育っていないのだ。上記のようでは、育つものも育たないのは当然じゃないか。 久しぶりの日本で経験した事は、かなりショックだった。だから「なんでなんだ!」という思いを友達に言うと、数人は「日本が嫌だったら、スイスに帰れ」と言った。私は、アイデンティティーに悩むハーフ(半分ではなく、100%+100%=200%の可能性のある人達なのに)や在日という立場の人の気持ちを始めて知った。その後スイスに戻って、かなり長い間思い悩んでいた。今、数年たって、やっと文章にする気になった。 この現象は、多かれ少なかれ世界中でみられる現象だ。恐ろしいことではないか。人間が育っていないのだ。命が育ちにくい土壌・・・外からも内からも、崩壊し始めている。人の存在が持続可能ではなくなっている。 |