水族館より草はらを山野 弘美(スイス在住) 私の家の周りは、ほとんど草むらだ。そこに、いろんな果樹が育っている。森の木々が飛ばす種が根づき、時々、果樹の生育を脅かす事もある。私達夫婦はこまめではないから、すぐそれを切る事もできず、「なんだか、森みたい・・」とつぶやく程度だ。でも、お隣と接している部分は、法律により、木々や草が覆いかぶさらないように、少し気をつけている。毎年6月と9月、庭用のハサミを持ち、隣家の柵の近くに腰をおろして、少しづつ刈っていく。 草に触れるだけで、虫が一杯飛んで逃げる。蜘蛛がお尻に卵をつけて歩いている。カメ虫の仲間も、お尻同士をくっつけながら歩いている。夫は「ひっついたまま、飛んでるよ」と言うが、私はそれをまだ見た事がない。イネ科の根元にアリの巣がある。雨水は葉をとゆ代わりに伝うので、巣を水害から守るのだろう。別の葉の根元に、泡みたいなものがくっ付き、中で何かがうごめいている。この泡は、もはや我が身から離れても、子を守ろうとする母親の愛であり、執念だ。小さなハムシの仲間が、たくさんいる。体長1cm足らずのこのハムシ、卵をウンコで固め、ポイッと捨てる離れ業をやってのける。その上、ウンコから出てきた幼虫は、ウンコで家を作る。ウンコを背負って歩く者もいる。まさにウンコ使いの達人なのだ。それぞれの虫達が、ウンコほどの知恵を絞って、ウンコまみれになっても、植物連鎖のトップに君臨する鳥類一匹に、一週間で、数千匹が食べられてしまう。それぞれの命が、生存をかけ懸命に生きている。 そして、命が活き活きと躍動している、一見なんでもない草むらと木々の間で、人間の子供もまた、想像力の限りを尽くして遊ぶ。この想像の泉は、枯れる事を知らない。虫の子も、人間の子も、鳥の子も、今この一瞬を生き、爆発的な成長を遂げる。 京都の水族館予定地は、今は災害時避難地に指定された空き地だという。「生物多様性の学習」と「子供の遊び場」を目的とするなら、草はらが一番だ。しかし、「生物多様性の危機や生態系の豊かさを取戻すための試みがほしい」と、建設妥当と答申した大学院教授、「多様な生物の命を感じ、学べる場としての機能を充実」とのたまふ建設者側、「子供達の娯楽の場として必要だ」と建設に賛成する母親達。この人達は、どんな子供時代を過ごしてきたたのだろうか? 土地との関わりを失った子供が大人となり、その大人が子を産み育て、人はもうどれぐらいそのサイクルを繰り返してしまったのだろうか。 ハムシにきけば「それはウンコで固めておきなさい」とでも言うだろうか。固めるべきは賛成意見か、反対意見か。奇想天外な知恵とは、どんな時に生まれるのだろうか。空には、ワシタカが気流にのって飛んでいる。私は、草むらでウンコ座りになって、考え込んでしまった。 |