「虫の物差し」
山野 弘美(在 スイス)
スイスには、数種のナメクジがいる。我が家の庭には、その全種がそろっている。ナメクジの活動時間は、早朝と夕方。それ以外の時間は、土の中にズズズズと沈んで休んでいる。種を撒いても、芽が全く出ないのは、彼らが土の中に住んでいて、オヤツ程度に種をあっさり食べてしまうからだ。春から夏になる頃、ナメクジの体は、どんどん大きくなり、ムシャムシャと音をならしてなんでも食べる。畑の野菜なんて彼らには、フランス料理だ。そう、だから私達はスイスに来て8年間、野菜でなく、ナメクジを育てていたと言える。農道で車に轢かれてナメ
クジが死んでいた。他のナメクジが円を作って集まっていた。私は、家族か友人の死を悼んでいるのだ、と思った。しかし、よく見ると死んだナメクジを食べているではないか。ナメクジはナメクジまで食べるのである。夕方、ナメクジをバケツ一杯とり、夫のアンドレーアスが森に捨てに行く。そして「畑に戻ってくるには、彼らの足で1週間はかかるだろう」と彼は言った。毎日捨てたら、毎日帰ってくるではないか。自給自足の目標を掲げて、この地に赴いた私は、その言葉を聞いて、卒倒しそうになった。初夏になると、米粒サイズの黒いナメクジが発生する。手でとるのは小さすぎる上、畑に一歩足を踏み入れた途端、靴の裏に黒い米粒が、ギッシリつくほど、沢山発生する。これに直面して私は、本当に、この土地での畑をあきらめた。ご近所の畑は、豊作だ。ナメクジを殲滅する方法が幾つかあることは、もう知っている。でもそれをすると、ナメクジ以外の虫まで、殺すことになるし、なによりも土を駄目にする。そこまでして、やることではないと心底あきらめた。だから今では、セッセと有機野菜のお店に通っている。犬の散歩の途中、ナメクジが動物のウンコを食べているのを見た。次の日、もうそのウンコはなくなっていた。人間が目を伏せてしまうものを、彼らは体内に取り込んでいる。ある日の午後、雨が止んで、太陽の光が美しかった。アンドレーアスは、私を呼んで言った。「ほら、ナメクジが気持ちよさそうだよ、ここのお庭はナメクジまで幸せそうだね」と。見ると、ズッキーニーの葉っぱの上で、大きなナメクジがユラユラしている。スイスに来て8年間、農の腕は全く上がらなかったが、虫の物差しが私の心の中で育ち始めていた。都会育ちの私が、人間様以外の物差しをもつ事は、容易なことではなかった。というわけで我が家の庭は、人の目でみるとただの荒地だが、実は虫の楽園なのである。
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