「ポイ捨て」
山野 弘美 (スイス在住)
我が家の生活エネルギーは、木と太陽光でまかなっている。そのため庭には、乾燥させて3
年目、2年目、1年目の薪が大量に積み上げてある。積まれた薪は、冬の寒さをしのぐ虫達の家や、冬眠場に最適だ。3年ねかした木を使用する時、夫のアンドレーアスは、虫の家になってないか、虫が冬眠していないか、薪を一本一本、丁寧にチェックする。虫が居ると、また暖かな中に戻す。手伝っている子供達は、その全てをみている。
彼が特別、やさしい人物なのだろうか。そうではない、と思わされる光景によくお目にかかる。幼稚園帰り、あるお父さんは、道にでてきたミミズを、踏まれないように草原に戻していた。お布団やさんは、布団の説明中、目の前に降りてきた小さな小さなクモに「ハロー」と言って、クモの糸を指に絡ませて、安全な場所に運んでいた。アンドレーアスの妹さんは、駐車する時、手前で止まって、虫がいないか確認してから駐車する。そんな事がたびたびあるのだ。
この2年、続けて日本に戻った。人はなんのためらいもなく、家に上がりこんだアリを指でつぶす。5歳のヨーナスと4歳のノアは、それを目を見開いて見ていた。アリも自分達と同じ命だと、すでに彼らは知っているからだ。彼らの命が自分達とつながっていることを、肌で知っている。アンドレーアスから「命を大切に!」とか「環境を守ろう!」という言葉を聞いたことはない。たんに「殺したくない」のだ。園帰りのお父さんもお布団やさんも妹さんも、たんに「殺したくない」のだ。そんな普通の感性も、今の日本ではポイポイ捨ててしまっているように感じる。
スイスでは1800年代に森林法が成立している。林業のための法ではなく環境法であるらしい。スイスが大規模な環境破壊から免れている背景の1つに、これらの法規制があるらしい。もう少しドイツ語が上手になれば、この法が成立した経緯を知りたいと思っている。その裾野にスイス人の命にたいする感性が、息づいているのではないか、それが知りたいのだ。去年末、日本で成立した野生鳥獣を駆除する「有害鳥獣特措法」のそれと比べて。
(終)
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