「民度」
山野弘美(スイス在住)
最近、親に難題をぶつけてくる子供たちが、ある日「神さんって何?」と質問してきた。ウーンと唸りながら「ヨーロッパの神さんの事は、私は知らん、日本では昔、神さんは人間と自然の間に居はったんや、だから人は神さんを超えて、森の奥とかには入らへんかった、でも人間はどんどん森に入ってしもた。だから日本にはもう神さんはおらん。神さんのいーひん所は、動物も森も死んでしまう。そのうち人間も居られんようになる」と答えた。子供達は考え込んでいた。私は、これでいいかなぁ……と思いながら、間違いではないよなぁ……とも思った。
最後の 人間も居られんようになる という言葉は、は昨年12月に「有害鳥獣特措法」が成立した苛立ちからだった。私は、国内外でのレター・キャンペーンの活動をしてこの法案反対運動に関わった。この法案は、農林山村振興委員会が、野生鳥獣による農作物などの被害対策のために要望を出し、それを先の選挙で大敗した自民党が、田舎の集票のために便乗し成立させたのだった。根本的な被害原因は、戦後の開発や行い過ぎた人工林化などにより、鳥獣が棲めないまでに日本の自然が荒廃している事にある。しかし、自然復元という根本的解決に重点は置かず、駆除一辺倒であることが問題だ。インターネットで、「この法で特産の木を鹿から守ろう!」と、笑顔のある村長の写真を見た。木も一種で成り立っているわけではなかろうに。木を見て森が見えない人々は、本来、人間生存のためにも、守るべきである野生鳥獣を大量に殺戮する。そして、鳥獣がつくる森を一層退廃させ、文化や産業の拠所でもある水源を荒廃する。またこの法の醜いところは、「資源」の最大限の利用を掲げている点である。ある種は動物実験にまわされ、またある種は「安全!日本の野生肉」として、日本の食卓に上がるだろう。法の後押しで、野生鳥獣の持続不可能な産業サイクルが出来上がる。この国では、命はどこまでも「資源」である。近年、悪法がどんどん国会を通過する。それを推進しているのは、政治屋や官僚だけではない。その一番の立役者は、主権者の国民だ。国のレベルは民のレベルである、ということをつくづく思い知った。
|